年 | 栃木県 | 日本 (世界) | 各クラブ |
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1930 | ○栃木県スキー連盟創設される。(5.13) | ○ハンネス シュナイダー来日、菅平外6カ所 | |
昭和5年 | (会長 ・ 鈴木秀雄) | で講習会を開き、アーベルグ スキー術を披 | |
○栃木県体育協会設立され、スキー部として | 露する。 | ||
加盟する。 | |||
1932 | ○第1回県スキー大会が塩原で開催 | ○第3回冬季オリンピック大会 | ○古河精銅所スキー班県連に加盟 |
昭和7年 | ○日光湯元スキー場開設 | レイク プラシッドで開催 | |
1935 | ○栃木県体育協会スキー部として全日本スキー | ○S・A・J 創立10周年 | |
昭和10年 | 連盟に加盟 (4・28) | ||
(会長 ・ 相野田弥平) | |||
(加盟クラブ及び会長) | |||
宇都宮高農スキー山岳部 ・ 鈴木秀雄 | |||
塩原高原スキークラブ ・ 佐藤元吉 | |||
竜頭スキークラブ ・ 塩崎音四郎 | |||
板室スキークラブ ・ 室井清一郎 | |||
日光町湯元スキークラブ ・ 南間 栄 | |||
日光中宮祠男体スキークラブ ・ 大島久治 | |||
真岡スキークラブ ・ 柳沢麟太郎 | |||
日光精銅所クラブ ・ 小松原岳次郎 | |||
宇都宮山岳会 ・ 加藤恭平 | |||
宇都宮アルコー会 ・ 宮田恒雄 | |||
1936 | ○日光町、冬季オリンピック開催地に立候補した | ○宇都宮スベロー会加盟 | |
昭和11年 | が、過去の実績から札幌市に決定する。 | ||
1937 | ○全日本スキー連盟加盟名称を「栃木県体育協 | ○西沢金山スキークラブ加盟 | |
昭和12年 | 会スキー部」から「栃木県スキー連盟」に変更。 | ○烏山スキークラブ加盟 | |
(会長 ・ 宮崎謙太) | ○東電体育会スキー部加盟 | ||
○那須温泉スキークラブ加盟 | |||
○日光中宮祠男体スキークラブ →男体スキー | |||
クラブ | |||
1938 | ○レルヒ少佐に直接教授を受けた鶴見宣信(SA | ○日光スキー連盟加盟 | |
昭和13年 | J監事)が日光町長となり来県し、日光スキー連 | ○鬼怒高原スキークラブ加盟 | |
盟会長に就任。 | ○宇都宮山岳会と宇都宮アルコー会と宇都宮 | ||
スベロー会が宇都宮スキー連盟に合併 | |||
1939 | ○会長 ・ 横山一俊となり副会長に安美賀が就任 | ○S・A・J 技術章検定(バッチテスト)が制定され | ○日光スキークラブ加盟 |
昭和14年 | する。 | る。 (1級、2級) | ○足利山岳会加盟 |
○第1回指導員検定講習会が五色で開催され11 | ○真岡スキークラブ退会 | ||
名の指導員が誕生する。 | |||
1940 | ○1月23日〜24日、第18回全日本スキー選手 | ||
昭和15年 | 権大会、栃木県地方予選のアルペン競技(回 | ||
転、滑降、新複合競技)に初めて女子組が加 | |||
わる。 | |||
1941 | ○足尾スキークラブ加盟 | ||
昭和16年 | ○川治スキークラブ加盟 | ||
○西沢金山スキークラブ、烏山スキークラブ、 | |||
板室スキークラブ、 日光スキー連盟、 | |||
東電体育会スキー部が退会 | |||
○宇都宮スキー連盟→宇都宮スキークラブ | |||
1942 | ○会長、松沢美雄となり、常務担当理事を専務理 | ||
昭和17年 | 事とし、初代専務理事に千家哲魔が就任する。 | ||
1947 | ○第1回関東スキー選手権大会が日光湯元で開 | ||
昭和22年 | 催される。 | ||
1948 | ○第3回国体からスキー競技がはじめられ長野 | ||
昭和23年 | 県野沢温泉スキー場で開催される。 | ||
1951 | ○会長に南間栄、事務理事に千家哲魔が選任さ | ○戦後の加盟団体 | |
昭和26年 | れる。 | 宇都宮高農スキー山岳部、那須スキークラブ | |
湯元スキークラブ、男体山スキークラブ、 | |||
古河精銅所スキー部、日光スキークラブ、 | |||
1952 | ○第6回冬季オリンピック、オスロ大会が開催され | 宇都宮スキークラブ、足利山岳会、 | |
昭和27年 | 戦後初めて参加する。 | 足尾スキークラブ、川治スキークラブ。 | |
1953 | ○専務理事を理事長に名称変更する。 | ○日光スキークラブと男体山スキークラブ | |
昭和28年 | 理事に各クラブ会長がなる。 | 合併して日光スキー連盟となる | |
○東京電力スキークラブ加盟 | |||
1954 | ○黒磯スキー協会加盟 | ||
昭和29年 | |||
1955 | ○那須十石平スキー場に本県初のスキーリフト | ○栃木県学校体育連盟加盟 | |
昭和30年 | が設定される。 | ||
1956 | ○会長・佐々木耕郎、副会長・五十嵐秀哉、小林 | ○準指導員制度発足 | ○宇都宮スキークラブ→宇都宮スキー協会 |
昭和31年 | 愛之助、古川精一郎となり、理事長に鈴木垣 | ||
就任。 顧問に南間栄、千家哲魔が就任する。 | |||
1957 | ○準指導員制度が発足し本県では日光湯元ス | ||
昭和32年 | キー場で第1回検定回が行われた。 | ||
1958 | ○ルディ・マット氏の講習会が日光で開催された。 | ||
昭和33年 | |||
1959 | ○鹿沼市体協スキー部加盟 | ||
昭和34年 | ○栃木スキークラブ加盟 | ||
1960 | ○鹿沼市体協スキー部→鹿沼スキークラブ | ||
昭和35年 | ○大田原スキークラブ退会 | ||
1961 | ○会長・堤武雄が就任し、副会長に五十嵐秀哉、 | ○全日本スキー連盟公認スキーパトロール制度 | ○小山市スキー協会加盟 |
昭和36年 | 羽石甲太がなる。 | 制定、スキー大学制度制定 | |
1962 | ○全日本スキー連盟登録制度発足(4.1) | ○今市市スキークラブ加盟 | |
昭和37年 | ○矢板スキークラブ加盟 | ||
1963 | ○大田原スキークラブ加盟 | ||
昭和38年 | ○湯西川スキークラブ→栗山村体協スキー部 | ||
○鬼怒川高原スキークラブ→鶏頂山スキーク | |||
ラブ | |||
1964 | ○県スキー連盟の組織に部制が設けられる。 | ○氏家スキークラブ加盟 | |
昭和39年 | (総務部、競技部、教育部) (7.28) | ○東武スキークラブ加盟 | |
1965 | ○芳賀スキークラブ加盟 | ||
昭和40年 | |||
1967 | ○会長に羽石甲太が就任、副会長に高橋要次郎 | ○S・A・J公認スキー学校制度制定 | |
昭和42年 | が加わる。 | ||
1968 | ○烏山スキークラブ加盟 | ||
昭和43年 | ○氏家スキークラブ→氏家スキー協会 | ||
1969 | ○芳賀スキークラブ→芳賀スキー協会 | ||
昭和44年 | |||
1970 | ○足利スキークラブスノーフレンド→足利スキー | ||
昭和45年 | 協会 | ||
1972 | ○第11回冬季オリンピック大会が札幌で開催 | ||
昭和47年 | |||
1973 | ○ 「日本スキー教程」 発刊 | ○栃木スキークラブ→栃木スキー協会 | |
昭和48年 | ○栗山村体協スキー部→栗山村スキー協会 | ||
1974 | ○氏家スキー協会→氏家スキークラブ | ||
昭和49年 | ○佐野スキークラブと葛生スキークラブが合併 | ||
して安佐スキー協会 | |||
○西那須野、大田原、黒磯スキークラブが合併 | |||
して那須北部スキー協会 | |||
1977 | ○羽石会長 逝去 (12.10) | ||
昭和52年 | ○12月16日県スキー連盟葬が行われる。 | ||
1978 | ○今市市スキークラブ→今市スキー協会 | ||
昭和53年 | |||
1979 | ○会長・神山保治が就任し、副会長に高橋要次 | ○黒磯スキー協会分離独立して加盟 | |
昭和54年 | 郎、五十嵐弘がなる。 | ○烏山スキークラブ退会 | |
1980 | ○スキー連盟創立50周年記念式典開催 | ○第13回冬季オリンピック.レークプラシット大会 | |
昭和55年 | (11月24日) | 開催 | |
1981 | ○ 「日本スキー指導教本」 「初級スキー教本」 | ○鹿沼スキークラブ→鹿沼スキー協会 | |
昭和56年 | が初めて発刊される。 | ||
1982 | ○会長・小林茂が就任し、副会長に大金武彦 | ||
昭和57年 | 伊谷野誠一郎がなる。 | ||
1984 | ○第14回冬季オリンピック.サラエボ大会開催 | ||
昭和59年 | |||
1986 | ○安佐スキー協会→佐野スキー協会 | ||
昭和61年 | ○那須北部スキー協会→大田原スキー協会 | ||
1990 | ○スキー連盟創立60周年記念式典開催 | ||
平成2年 | (6月16日) | ||
1991 | ○古河日光スキー部退会 | ||
平成3年 | |||
1992 | ○会員登録数2769名 過去最高記録 | ○第16回冬季オリンピック.アルベールビル大 | ○ハンターMTスキークラブ加盟 |
平成4年 | 会開催 | ||
1993 | ○神山保治名誉会長 逝去 | ||
平成5年 | |||
1994 | ○小林茂会長 逝去 | ○第17回冬季オリンピック.リレハンメル大会 | |
平成6年 | ○桑久保副会長 逝去 | 開催 | |
1995 | ○小倉光司 会長就任 | ○第15回インタースキー開催(野沢) | ○塩谷スキークラブ加盟 |
平成7年 | |||
1996 | ○スキー連盟創立65周年記念式典開催 | ||
平成8年 | |||
1997 | ○スノーボード指導員検定制度スタート | ○日立栃木スキー部退会 | |
平成9年 | ○おおひらスキー部加盟 | ||
1998 | ○第18回冬季オリンピック.長野大会開催 | ||
平成10年 | |||
1999 | ○中山 厚 会長就任 | ○SAJスキー指導員制度存続決定 | |
平成11年 | |||
2000 | ○スキー連盟創立70周年記念式典開催 | ○上河内町スキークラブ加盟 | |
平成12年 | |||
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